沼田勇記念室

沼田勇記念室

店舗に併設して「沼田勇記念室」があります。


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2010年に設立され、沼田先生の、生化学、食養、禅、俳句をはじめ多岐にわたる研究、お仕事の資料の保存と沼田先生を顕彰するため、西脇和善先生が何年も前から構想されていたものです。 大仁医 院のあった場所に建てられた沼田先生のお住まいの一室が記念室となっています。建物は和 風の二階建で、前の建物に使われていた建具も生かされた明るい作りとなっています。 沼田先生も、しばらく新しいお住まいに入られ、記念室のできたことを喜んでおられました。 表紙 石田波郷の句碑 俳人石田波郷は、俳句結社「鶴」の主宰であり、水原秋桜子門の代表的俳人で「人間探求派」 と呼ばれ、戦後の俳壇を先導し、俳句文学に大きな功績を残しました。 波郷は、伊豆に萩原麦草・菊池日呂志など縁の深い俳人が多く、よく伊豆を訪れました。 沼田先生も波郷門下で、鶴の同人として波郷を迎えました。 玄関脇の句碑は、作家伊藤桂一氏が文芸春秋に沼田先生のことを書いた作品「一軍医の記録」 のことを知った石田波郷が、沼田先生に贈った俳句です。 (国手とは国を医する名手、名医のことです。)


生化学者沼田勇先生と食養 戦前、沼田勇先生が20代のとき、北里研究所の生化学室にて、 寝る間も惜しんで、青春を 賭けた猛烈な研究生活を送り「ビタミンC酸化酵素」や「ピタミンB1分解酵素(アノイリナ ーゼ)」などの世界的な発見をいくつもされました。これらの発見は、戦時中でなければ、ノ ーベル賞候補に匹敵する成果だとも言われていますが、その成果は、 先生の上司が日本学士 院賞を受賞し、 沼田先生の名前が表に出ることはありませんでした。 北里研究所時代に二度、戦争に召集され、終戦後の昭和21年の夏には軍医少尉として防疫 官の任務に就き、中支派遣軍150万人、並びに一般邦人50万人の「上海」引揚げ時、衛生状 態の甚だ悪く、薬や消毒剤が皆無で、コレラ・赤痢の発生は逃れられない状況の中、酸に弱 いコレラ菌と胃の生理と、食養の経験をもとに予防法を創案して、全員無事に内地へ帰国さ せることができました。(伊藤桂一著『かかる軍人ありき』 北里研究所時代に林仁一郎博士に出会い、食養を知った沼田先生は、石塚左玄の食養の原 理のすばらしさに注目し、生化学者の立場から食養の再評価に努めてこられました。 昭和29年には中川雅嗣先生らと日本綜合医学会を創立し、医の正しい在り方、食養の必要 性について述べ、指導してこられました。 食養の科学的再評価は、先生が編集されていた「復刊食養」などに順次掲載されてきまし たが、昭和53年4月に30数年間の研究成果を纏めて『病いは食から』として出版されました。 沼田先生の澤木興道老師との出会いは戦前の林仁一郎先生の病院でしたが、疎開先の大仁 に澤木老師も疎開していました。先生は食養法を徹底指導し、老師の胃潰瘍を治しました。 この出会いから、先生は30数年間澤木老師に師事し参禅しました。老師亡き後も生涯坐禅を 続けられました。 平成15年12月には、昭和21年「上海」 引揚げ時のコレラ・赤痢等の予防法が、 世界保健 機関(WHO)に「沼田法」として採用されました。

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